大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

お散歩4・9

ちょいと更新が間遠になっている。書こうと思っているネタがないことはないのだが、ちょいと骨が折れそうなので、手を付けることに躊躇しているからだ。かといって・・・あんまり間を開けてしまったのでは、私のようなもののブログは忘れ去られてしまう恐れがある。そこで、今回はちょいとお気楽に、お散歩の途中に目にしたもの等々・・・

大美和展望台

私のブログには何度か登場している大美和展望台である。大和盆地の桜は先日の大風でかなり花びらを落としてしまったが、それはソメイヨシノのことで、それよりもやや開花時期の遅い個々の枝垂れ桜たちはまだしっかりとその美を保っている。あと・・・2~3日は春を楽しめるのではないだろうか。

大美和展望台から見た大和三山

続いては展望台から見た大和盆地の南半分。葛城山・金剛山を背景に大和三山がぽっかりと浮かんでいる。秋などはこの盆地がすっぽりと霧・・・少し高いところから見下ろすとまるで雲海に覆われたような光景を見せてくれる朝がある。そんな日などは、この三つの山がその海に浮かんだ小島のように見える。

そしてその場で振り返ると・・・

大美和展望台から見た三輪山

三輪のお山である。幾分暗く、お山の背景がまぶしく見えるのは少々早い時間帯であったからである。今日は土曜日で私はお休みなのであるが、愚息たちが仕事があるというのでお付き合いして早起きしたものの、食後時間が空いてしまい手持無沙汰だったのでお散歩へと出かけたのだ。

それから私は大神神社へ・・・

春の大神祭 祭具

ちょいと珍しいものがあった。まあ、神社なのだから、おみこしぐらいがあっても何の不思議があるわけではない。ではなぜ・・・「珍しいもの」などと書いたのか・・・

上の写真をクリックして写真を拡大していただきたい。神輿の中央に取り付けられた赤い鳥居には札には「若宮社」とある。ここは大神神社の拝殿前。なぜ、ここから離れた場所にある若宮のお神輿があるのか・・・詳細は大神神社のHPにある。

第十代崇神(すじん)天皇の御代に疫病が大流行し多くの国民が亡くなるという国難が起こった時、ご祭神の神示により神孫の大直禰子命(おおたたねこのみこと)を神主としてご祭神を篤くお祀りし直したところ、平安が戻って国が富み栄えました。このことが大神祭の起源で・・・祭典は8日の宵宮祭、9日の大神祭、10日の後宴祭と三日間にわたり、「例祭」と呼ばれる大神神社で最も大切な祭典です。神孫の大直禰子命(若宮様)を神主としてお迎えした故事に則り、8日午前に大直禰子神社(若宮社)で例祭を行い、御分霊(ごぶんれい)を若宮社から本社にお遷しすることから祭儀が始まります。

昨日が宵宮にあたる日であったわけだが、その時に若宮で、大直禰子命に明日のお祭りで大神のお祀りをするようにお願いし、神輿に乗ってここまでおいで頂いたというわけだ。祭りは以下の要領で明日まで続く・・・

9日の午前には神社関係者・氏子崇敬者・各種団体関係者など千名近くの参列を得て、拝殿で例祭の大神祭が大祭式で盛大に行われ、神楽「うま酒みわの舞」が奉奏されます。午後からは若宮の御分霊を神輿にお遷しし、三輪の町中を巡幸する若宮神幸祭(わかみやしんこうさい)が行われます。これは大直禰子命を里人がお迎えしたさまを伝えるものと言われ、神輿を中心に、馬に乗った宮司以下神職、時代装束を着用し各地区の幟や神宝を持った氏子、稚児や甲冑騎馬武者など総勢250名余がお供をして三輪の町を巡幸します。 10日の後宴祭の後に、若宮の御分霊を若宮社にお戻しする祭儀が行われると、正午からは祭りを締めくくる後宴能が催されます。斎庭に設けられた桧舞台で、神社ゆかりの能「三輪」、狂言「福の神」などがその道の大家によって演じられ、3日間にわたる春の大神祭は目出度くとり納められます。

10日の後宴能は、なかなかの顔ぶれがやってくるのでちょいと見ものである。

ところで・・・神前にはもう少し変わったものが目にすることができた。上の「宮神幸祭(地元では”お渡り”と言っている)」のための神具である。

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まことに興味深い品々であった・・・

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