大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

近江行・・・1

8月半ばのその日、私は琵琶湖の東の湖畔を車で北上していた。目指すのはマキノ高原。かねてからここのメタセコイア並木が美しいと聞いていた。その道を一度走ってみたいと思っていたのだ。

昼過ぎに大津市内で昼食を済ませた後、2時間ほどで私はその道を走っているはずだった・・・・が、調子よく車が進んだのは初めの1時間半ほど。あと30分ほどでメタセコイアの木陰の道を走るはずだった私の車は、歩いたほうがまだ早いぐらいの速度でしか進まなくなった。マキノ高原はすぐそこに(というほどでもないが)見えるのに・・・・もどかしい限りだ。

・・・そして、私はマキノ高原に行くことをあきらめることにした。

私は大津に宿をとっていたのだが、こんな時期の宿泊ゆえ夕食の時間が宿の方から指定されていたのだ。5時30分・・・それがタイムリミットである。メタセコイアの並木はまたの機会にして、私は道を取って返し、南へと向かった。さっきまで右側に見えていた「近つ淡海(チカツアハウミ)・・・琵琶湖」が今は左に見える。助手席側だ。

助手席に座っていた妻があるものを見つけ、シャッターを押した。

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この湖中に浮かぶ鳥居は、白髭神社のもの。滋賀県高島市鵜川に位置する近江の国、最古の神社だ。祭神猿田彦大神。海上交通や道開きの神と聞いている。全国にある白髭神社総本社にあたる。

お社の写真をとも思ったが、あいにく私の両手はハンドルでふさがっており、妻に頼もうにも運転席の私が邪魔でシャッターがなかなか押せない。あっという間にこの近江最古のお社は車の後方へと去って行った。

ところで、白髭神社と聞いて私にはふと思い当たることがあった。この滋賀の白髭神社は湖面を向いて立っており、それは日の出の方向を向いていた・・・・いっしょだ・・・・私は思った。

・・・何に?

それは・・・

私の育った町にも白髭神社があった。この滋賀の白髭神社末社であったのだろう。私の家の東にある小さな山を挟んだ反対側にその小さなお社はあった。近江のそれと同じように東を向いて・・・(湖面ではないが)川面を向いて、我が故郷の白髭神社も立っていた。ぐるっと山の北側を回ってほんの5分。境内もそう広くはなかったが、畏れ多くもその神の庭を私たちは遊び場としていた。神社と隣の家との境界に聳えていた石塀にボールをぶつけては、跳ね返ってくるそのボールをキャッチして…ということを繰り返していると、グローブを持った友人が一人・・・そしてまた一人。バットを持った者もやってくる。

いつの間にか野球の試合が始まる。全く…畏れ多い話だ。

そんな思い出のしみ込んだ場所は、今、廃墟と化している・・・いや廃墟どころか更地に等しい景観を呈していると聞く。そう・・・あの3月11日からのことだ。あの日私の生まれ育った町は冷たい波濤に飲み込まれ、跡形もなく姿を消した。

私は・・・あの日から一度も故郷を訪れてはいない。数えきれないほど多くの人が、東北の地を訪れ、支援の手を差し伸べていることは当然知っている。なのに・・・当事者でもあるはずの私は・・・

怖いのだ・・・

こうやって離れていれば、たとえ映像で事の真相が伝わってきたとしても、なにかしら絵空事のように思うことができる。けれども、自分の足を運び現実の姿と向き合ってしまえば、すべてを受け入れざるを得なくなる。そんな情けない私をしり目に、いつもブログ上でお付き合いしてくださっている根岸さんが我が郷里をを訪れその変わり果てた姿をレポートしてくださった。

http://fuyumi.ti-da.net/e3546586.html

奇しくも、その記事のアップの日は8月8日・・・私の誕生日だ。そしてお盆も過ぎた今、私はとうとう現実を受け入れる・・・そう、変わり果てた故郷を訪れる・・・そんな決心がついた。

・・・ちょいと話がそれてしまった。以降数回にわたって今回の「近江行」と様子をお伝えしたいと思う。

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