大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷・・・1

あの日からもう半年が過ぎようとしている。

あの日とは・・・そう、私の故郷が、そして東北の東海岸の町々が暗く、とてつもなく冷たい波濤に飲み込まれたその日である。まだ仕事の場にあった私は、激しい揺れが我が郷里を襲ったと聞いたとき、それでもまだたかをくくっていた。地震多発地帯であるこの地域に育ち、それまでにいくつもの地震を経験し、さらには1978年の宮城県沖地震を経験し、どの程度の揺れがあれば、どの程度の被害があるのかある程度察しがついていたからである。

が、数十分後、その浅薄な予想はテレビの画面が伝えるその映像によって見事に覆された。

もう、あの日のことについて言葉を費やすことはやめにしよう。何も私がここでそんなことをしなくとも、あの日、そしてそれからの東北の地においての悲哀は様々なメディアによって充分すぎるほど伝えられている(そのすべてが正鵠を得ているとは言い難いが・・・)。

・・・帰らねば・・・

幾度も思った。けれども

・・・自分には何ができるのか?・・・

することなど山ほどあったはずだ。なのに私は何度も自分に向かって反問した。

・・・自分にはなにができるのか?・・・

と。

そして、半年もたったある日、その答えは何気なくそこにあることに気が付いた。「見ておくこと」。そしてそれを心の片隅に深々と焼き付けておくことが、今、自分のなすべきことなのだと。

実際に郷里を訪れてその現状を目にすれば、もはや私は「ふるさと」の喪失を認めざるを得ない。あれは夢なのだ・・・現実ではない・・・ただの映像による作り事なのだと信じたがっている私の中の臆病な私を欺くことはもうできなくなる。そうすれば私は完全に自分をはぐくみ育てた「ふるさと」を完全に喪失してしまったことになる。私はそれを避けたかった。たとえそれがまやかしのものであれ、心のどこかに「ふるさと」は温存しておきたかった。

けれども、あれからの半年という時間がやっと私に現実と直視する勇気を与えてくれた(ここでいう時間とは単なる時の流れを指すのではなく、その時間内における私を取り囲む人々の私に対しての働きかけを含んだ語である)。たぶん・・・いや、絶対に遅きに失した「気づき」であった。が、気づいた以上、行動しなければならない。私はさっそく帰郷の準備に取り掛かった。被災の人々の労苦の日に比べれば、ほんのわずかな時間に過ぎない。9月4日、5日の二日間。今の私に与えられた時間であった。

そして9月4日朝、心配していた台風12号日本海には抜けていたが、風いまだ強く、雨はまだ降り続いていた。前々日に出された大雨警報は継続中、飛行機は飛ぶのか・・・そんな不安もあったが、どうやら飛んでくれそうだ。

私は空港に向かった。

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