大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷・・・4

兄の仮の宿りとなるアパートを後にして私は再び仙台を目指した。1時間と少しの道のりだ。飛行機と宿のセットになっている格安パックで帰郷だ。少々面倒くさいがやむを得ない。それに・・・東松島や近隣の石巻の周辺では、うまく宿が取れることは期待薄だ。やむを得ない。ただ、今晩の宿舎となるホテルは仙台の繁華街のど真ん中。駐車場を持たぬ宿ゆえ、できれば明るいうちに辿り着き駐車場を探しておきたい。

そう思って私は早めに兄のアパートを後にした。けれども、そこに私のしくじりが一つあった。私は長く大和に暮らしているゆえ、日没の時間の、その時差を、この時完全に失念していたのだ。私は大和ならば充分に日の入り前に仙台にたどり着けるであろう明るさのうちに東松島市矢本の町を後にしたのだが、車を走らせているうちに、あっという間に日は西に傾き、周囲の明るさは次第に失われていった。仙台についたころにはすでに黄昏も押し詰まったころ・・・

それでも何とかホテルの近くに駐車場を見つけることができ、無事にチェックイン。夕食の場を求め仙台の町に出る。ホテルのある場所は東一番町。仙台でも一番の商店街。すぐそばは東北でも有数の飲食街、国分町だ。夕食をとるに何不自由はない。かえってそれゆえ、どの店を選ぶべきか困ってしまうほどだ。

さんざん歩き回った末たどり着いたのが、とある居酒屋・・・「伊達屋敷」だったかな?・・・狭いくぐり戸を抜けて、細い通路の先にある広間は中央に囲炉裏がしつらえてあり、そのぐるりが板の間。そしてそこを取り囲むようにカウンターがコの字型にしつらえてあり、その奥には結構多くの数の個室がある。私は一人である故、そのカウンターの一つの角の席に自分の居場所を見つけた。

この店を探すため結構歩き回ったので、相当な具合、喉が渇いていた。まずはビールだ。あては・・・川エビのから揚げ。出てきたものを見ると私が小さいころ沼エビと呼んで、その湯がいたものを大根おろしとともに食べていたものだ。くるっと腰を曲げたそのエビの背筋はまっすぐに引き延ばしても3cmもないほどか?これを素揚げにして塩を振ったものが、ちょっとした小鉢に山盛り。酒を飲むとき、あまり多くの趣向を必要としない私にとって、ゆうにビールを3本ほど飲める量だ。ビールで少々のどを潤した後、その川エビを一つつまみ口に入れる。カリカリの歯触りとともに、誰もがそれをエビだと認識しうるような風味が口中に広がる。そしてすぐにまた、ビール・・・・

喉の渇きさえ癒えれば、米どころの我が郷里のことだ。口にするべきは清酒である。メニューには幾種類もの宮城の清酒の名が並んでいる。まずはじめに頼んだのが「勝山」の純米。伊達家ご用達の銘酒だ。うまくないはずがない。

続いてたのんだのが「日高見」。石巻の銘酒だ。日本書紀に出てくる東国にあったとされる蝦夷の国の名にちなんでいる。が、ここで私はまたも今回の震災についての認識の浅はかさを思い知らされることになる。石巻宮城県内でも最も被害のひどかった地域。この銘酒の蔵元も当然被災している。店員の「ここは今出荷をしていませんので・・・。」という一言に私は一人恥じ入ってしまった。

仕方がない・・・・私は同じ石巻の銘酒「墨廼江(スミノエ)」の純米を注文する。ここはあの震災の後も健在であることを、とある方のブログで知っていたのだ。いっしょに頼んだ酒肴がイカとタコの刺身。いずれも私の好物だ。ありふれた安価なものではあるが、私が郷里にいた頃もっとも食べる機会の多かった刺身である。そして・・・こんなありふれた何でもないような酒肴がたまらなくうまい。震災の後とはいえ、海の国、宮城だ。こういったものの一つ一つまでもが新鮮で上質だ。しかも・・・安い。そう小食ではない私なのだが、これまでの三つの酒肴でそろそろ腹は満ちてきた。

そして銘酒「墨廼江(スミノエ)」の残りをぐいとあけると、私は最後の一杯を注文した。無論・・・「浦霞」純米だ。味は・・・言うまでもない。

最後に卵かけご飯でしめだ。米は当然宮城産の「ひとめぼれ」。しかも絶妙な炊き具合だ。うまくないはずがない。そして、一杯のお茶をすすった後、私は店を後にした。

ホテルに帰りついたのはもう9時を回っていた。今日一日の疲れが出たのか、急に睡魔が私を襲う。いつもは宵っ張りで、日付の変わる直前まで起きているのだが今日はもういけない。明日も大分の距離を走らねばならぬ…と思い、私が眠りについたのは10時を回ってすぐの辺りだったかと記憶する。

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