大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷・・・5

昨夜早く眠りについた故、今日(9/5)の目覚めは、5時前だった。できるだけ早く再び東松島の野蒜に向かおうとは思うのだが、泊まったホテルの朝食は7時からだ。時間が来るまでもう一度眠りにつこうと思ったが、もう眠れない・・・仕方がない、散歩でもしようか・・・

ホテルから出る。東一番町だ。まだ6時前だから人っ子一人いない。昨夜のにぎわいが夢のようだ。

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右も左もわからないまま道沿いに歩いてゆくと見事な並木道が見えてきた。

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定禅寺通りだ。豊かな緑におおわれたこの通りは後の楽しみにとっておいて、ちょいとこの道の先にある公園へと向かう。

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勾当台公園だ。確か小学校の5年生の時の遠足できた場所だ。その時の様子はよく覚えていないので、今と同じたたずまいだったのかどうかは分からないが、私たちはこの公園で思い思いにお弁当を食べた。奥に見える建物は確か・・・宮城県庁・・・だったはず・・・

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宮城の誇る江戸期の名大関谷風だ。1778年の3月場所初日から1782年2月場所7日目まで、江戸本場所にて土つかずの63連勝。さらにその連勝を止めた一敗の後、43連勝を記録した。生涯勝率は9割4分9厘。生涯優勝20回以上(現在のように年に6場所もなかった)。

これだけの記録なのに、なぜ大関なのか・・・簡単なことだ。この時期関取の最高位は大関だったのだ。ただ1789年、吉田司家が考案した横綱制度においてはじめての横綱を許され、初代の横綱になったとも聞くが、地元でも大関谷風の方が通りが良かったように思う。

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そして公園のほぼ中央には「平和」と題された銅像が・・・結構大きい。下の土台の白い円柱の部分だけでも私の背丈をゆうに越える。ちなみに私の背丈は185cmである。それにしても「平和」とは・・・町の中心となるこの公園のその中央に位置を占める銅像にこんな名を付けるなんて・・・我が故郷もなかなかやるなと思いながら公園を離れる。

いよいよ定禅寺通りだ。

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この通りの見ものは、豊かに茂る並木もあるが、中央分離帯に設置された写真の如き彫刻達も忘れてはならない・・・そう、ここはこの定禅寺通り中央分離帯。書くの如き散歩道になっていて、ところどころにこのような彫刻が配置されている。

この小道を歩いていると、朝の湿った空気にあいまって、体中がきれいになって行くのを実感する。それは、私がいつも散歩で大神神社に行ったとき感じる感覚とどこか違う・・・神威や霊威がもたらすそれではなく、ただこの町が持つ清潔さがもたらしてくれた感覚のように思えた。

さて、7時も近づいてきた・・・

ホテルに帰るとしよう・・・

なるべく早く朝食を済ませ、少しでも早く東松島へと向かいたい。

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