大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

帰郷・・・7

その存在を頼りにして避難してきた人々の命のすべてを守りきることが出来なかった無念の思いを、惨たらしくさらしたその姿ににじませている避難所・・・公民館を私は後にした。平時の海面より8mの高さに築かれた堤防沿いに、鳴瀬川は海に向かい流れている。私は一人、この堤防の下の道を歩き始めた。そして、歩き始めてまだ50歩も数えないうちに私は茫々と生い茂った夏草の中に、懐かしさの残骸の姿を見つけることができた。

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白髭神社の鳥居である。津波の威力により上の部分は押し流されてしまったらしいが、何とはなくそれがかつて鳥居であったことを主張する部分は残されていた。

今見れば、そんなには大きく見えない鳥居ではあるが、私がまだ子供であった頃にはとてつもなく巨大なものに見えていた。世のならいのごとく、下から石を投げ上げて、鳥居の上にそれがうまく乗れば願い事が叶う・・・そんな迷信をどこからか聞きつけて、懸命になって石を投げつけていた鳥居だ。今はいくら石を投げ上げたところで、その石が乗る場所はない。

懐かしさにかられ私はこの下をくぐり抜け、今はその姿をとどめぬ拝殿のあった場所に向かった。あとほんの数歩でその場所にたどり着こうとする場所の両脇に私は見慣れぬものを見た。

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狛犬だ。記憶は定かではないが、この神社には狛犬はなかったような・・・いや、記憶違いでもっと大きく古びたそれが合ったような気もする・・・

とにかく、私の記憶する白髭神社には写真のような狛犬はなかったことは確かだ。見ての通り、御影石材に刻まれたその雄姿は未だ歴史の古びを感じさせない。おそらくは私が郷里を離れた後に寄進されたものであろう。そしてすべてが失われたこの新町の集落にあって、あの3月11日以降に寄進されたものだとは到底考えられないことも事実だ。してみれば・・・この小柄な2頭の神獣はあの暗く冷たい波濤の中、自らの使命を果たすべく、この場所に於いて踏ん張り抜いたのであろう。その健気さを思いやったとき私はこの神獣たちに手を合わせずにはいられなかった。

けれども・・・守られるべき神のおわしどころは・・・

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その基礎の部分を残してものの見事にその姿が失われていた。猿田彦命・・・海の神、道開きの神のお住まいは跡形もなく流されてしまった。

かつてこの神社はこの新町の集落の子供たちの遊び場であった。私たちは誘い合ってここの境内で野球をしたものだ。あまり広くはない神庭ゆえに、白球は無礼にも神の社にぶつかることもしばしばで、所々にその跡が残っていた。

今はその面影さえうかがえない拝処の前に立ち、きっと今もなおこの場所におわし、人々が帰ってくることを・・・子供たちがその神庭で遊び戯れるであろうことを待ち続けている猿田彦命に手を合わせ、今更ながら私はそのときの非礼を詫びた。

そんな日が再びこの集落にやってくるのか・・・そんなふうに思いながら私は次の場所に向かうため車に戻り始めた。


この記事を書き終えて、ふとこの神社の禰宜が私の中学校の野球部の先輩であったことを思い出した。むろん、もともと人の住まぬ神社ゆえ、先輩は他所で生活をしていらっしゃったと思うのだが、その場所とてやはり津波の被害を受けた場所。その安否はやはり気になる。

ところで、その先輩の手になると思われるHPがある。

http://www.michihiraki.org/

半世紀前のチリ地震津波の時の貴重な映像もおさめられている。ご興味のある方は是非上記のリンクをクリック・・・

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