大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

初瀬・泊瀬・長谷・・・

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何の変哲のない川だ。名を初瀬川という。我が町、奈良県桜井市の北東部、標高822mの貝ヶ平(カイガヒラ)山近辺を源流とし、奈良盆地を西流する。途中、巻向川、佐保川竜田川など盆地内の大半の河川を束ねながら大和川と名を変え、生駒山系と葛城山系の間を抜けて、大阪平野から瀬戸内海へと注いでいる。

写真は山辺の道の南端、金屋辺りのものだ。この辺り、大和を南北に走る山辺の道・明日香へと向かう山田道と接するという立地もあって、古くから市(海柘榴市ツバイチ)が立つような賑やかな場所であったらしい。仏教の伝来の地としても名高い。

けれどもここで私がこの川について語り始めたのは何もその水運史を云々するためではない。かなり以前・・・・そう私がブログを始めた頃書いた記事のことをふと思い出し、ここに再述しようと思ってのことである。同じネタで再び記事を更新することはい ささか心苦しい思いもあるが、たびたびの引っ越しにより以前書いた記事はとっくの昔に消去してあるゆえ、まあ許されるだろう 。

今「初瀬」という文字で表記されるこの「はせ」という言葉だが、奈良時代以前は「泊瀬」と書かれるのが普通であった。万葉人にも親しい川であったと見えて

石走り たぎち流るる 泊瀬川 絶ゆることなく またも来て見む

泊瀬川 白木綿花に 落ちたぎつ 瀬をさやけみと 見に来し我れを

のようにたびたび万葉集にも登場する。

さて、この泊瀬川という名の由来であるが、写真の金屋からの上流部が「泊瀬」と呼ばれることに由来する。ただ川の名と同じようにかつては「泊瀬」と表記されていたこの地名は、今、「初瀬」あるいは「長谷」と表記されるのが一般的となっている。

はて・・・「初瀬」とか「泊瀬」という表記であるならば、それが縮まって「はせ」と読むようになった理屈は分かる。けれども・・・「長谷」で「はせ」はちょいと苦しいようにお感じにはならないか?

「長」を「は」・「谷」を「せ」とは、どう考えてみても読めない。となれば「長谷」の二字で「はせ」と読むのだと考えなければならない。まあ、こんなことはほかにも幾つも例が見られるのであって、「大和ヤマト」「飛鳥アスカ」「春日カスガ」もその例である。ためしに「大・和」「飛・鳥」「春・日」とそれぞれを一字一字に分けて読んでご覧になると良い。やはり、二字一組でしか読めない。このような熟語の読みを熟字訓という・・・

しからばなぜ「長谷」が「はせ」と読みうるか?

泊瀬川は長谷の地まで遡ると、初瀬山の東麓の向かいその流れの向きを北へと変える。この辺りから周囲は切り立ちはじめ、細くが続く・・・ということで「長谷の泊瀬」と呼ばれるようになり、転じて「長谷」といえば「はせ」というつながりが固定化されこの読みが生じた。

ということで・・・全国で9万世帯を越える長谷川さんのその姓は、大和盆地南部の西部を流れる歴史の香り豊かな川の名に由来することになる・・・

・・・・と断言をすることは「?」であるが、まあ、可能性は高いんじゃあないかな・・・・