大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

山辺の道・・・檜原神社

玄賓庵を後にする。

再び林間の道に・・・

P1020080[8]

5分ほど歩けば周囲の林はいつしか途切れ、眺望が開けてくる。その先にあるのが檜原神社だ。大神神社摂社だ。きれいにお掃き清められた神の庭がそこに見えてくる。

神殿も拝殿もない、簡素な古代の祈りの場がそこにはある。

P1020083[4]

朱に塗られた水垣の内は白い玉砂利が敷き詰められその先にあるのは他ではあまり例を見ない”三つ鳥居”だ。大神神社では拝殿の陰になってみることのできない”三つ鳥居”がここでは目の当たりにすることができる。その先には神の宿りたまう神籬(ヒモロギ)がある。

この神籬に宿るのは・・・天照大御神・・・

今、天照大御神が祀られている神の社といえば言うまでもなく伊勢神宮(正確には「神宮」)。けれども天照大御神はかつて皇居の内に祀られていた。

崇神天皇の御代のことである。国内には禍ごとが相次いだ。原因を辿ってみると霊威あらたかなこの天照大御神と大国魂神の二神が同所に祀られている事が原因であることが分かった。あまりの強力な霊威はかえって人に禍をもたらしていたというのである。

崇神天皇はこの二神を他所に祀ることを決心した。大国魂神は現在の大和(オオヤマト)神社に祀られることになった。天照大御神は豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命が託され、倭笠縫邑(ムラ)に遷し祀られた。そしてこの檜原の地がその倭笠縫邑であるという。その後、天照皇大神の御神霊は、その後各地を移動して最終的に、現在の伊勢神宮へ祀られた。この故事によりこの檜原神社は、元伊勢とも呼ばれている。

鳥居以外何もない・・・本当に質素な神の社である。けれどもその祀りのあり方こそが原初の神祀りのあり方ではなかったのか・・・ふとそんなことを考えさせる場所で、ここはある。

さてここで振り返ってみよう。

P1020085[9]

かすんでいてその先がはっきりとしないのが残念ではあるが、この鳥居を通しての大和平野の眺望は・・・とくに大和平野の西に聳える二上山の姿は見事としかいうほかはない。特にその夕暮れの景は・・・

ところで、以前から私のブログにおいで頂いている方には、あれ・・・これはどこかで読んだことがあるぞ・・・とお思いの方もいらっしゃるかと思う。それもそのはず。昨年の9月にこの檜原神社については一度書いている。けれども、この春あたりから山の辺の道をたどる記事を書き続けてきて、ここだけをすっ飛ばすわけにはいかない。

ということ少しだけ稿を改めてここにアップした次第である。