大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

私の好物

今、私の目の前にあるものは、黒いほぼ正方形とも言ってよいような和紙状の物体である。サイズは20cm四方と言ったところか・・・

これを大事に両の手に持ったまま、いつもはトーストを焼いているオーブントースターに入れる。もちろんオーブントースターは充分に加熱されている。数秒後、私はそれを速やかに取り出し、向きを変えてまた中に入れる。繰り返すこと数度、周囲にはえも言われぬ磯の香りが漂う。先ほどまでは黒色と言っていいほどの色彩であったそれは、鮮やかな緑色に変色し、和紙のようにしなやかだった手触りも今はパリパリと硬質の音を立てている。

私はそれを二つに折りたたむ。小気味のいい音を立ててそれは2枚になる。そのまま4枚、そして8枚に折る。20cmの正方形だったそれは8枚の長方形へと姿を変えた。

その長方形の短い方の辺の一方に醤油をちょいとつける。醤油は紀州は湯浅の産、「角長」である。少し贅沢な気もするが、ここで醤油は贅沢をしなければすべてが台無しである。醤油をつけすぎてはいけない。これまた台無しだ。そしてここからが大事だ。長方形のそれを真っ白いご飯の上にのせ、箸でご飯を巻き込むようにして口中に運ぶ・・・

もう、とうにお分かりであろう。「黒い、ほぼ正方形とも言ってよいような和紙状の物体である」とは海苔のことである。私は海苔が好きだ。炊きたてのご飯と焼き上げたばかりのパリパリの海苔・・・これがあれば、それだけで私の朝食は充分に満たされたものになる。

これは子供の頃からそうなのであって、これから先もこの嗜好だけは変わりそうもない。

そもそも私の生まれ育った東松島市野蒜は東日本では主たる海苔の産地である宮城県においてもその生産高は同県内の40%を占めていた。食卓にはふんだんに海苔があった。そして、ご飯の友、薬味、酒の肴として海苔は東北の海辺の町の食卓にはなくてはならぬものであった。

そんな海辺の町はこの3月11日、姿を消した。

もう、あの香ばしい海苔の香は味わうことはできないのか・・・

そんなふうに思っていたら、あちらこちらから今年も海苔の生産が始まったとの知らせが入ってきた。もちろんその生産規模は昨年までのそれには到底及ぶものではないであろう。それゆえ、郷里産の海苔が今年私の口に入ることも難しいのではないかとは思う。

けれども・・・それでよい。

こうやってその生産が再開されたからには、いつか私の口にも入りやすくなる時は来るであろう。それまでは・・・

そしてこうやって大和に住む私の口にも簡単に入るようになれば、それはとりもなおさず我が郷里の再生のあかしとも言えよう。ただ私はその日を待つのみである。

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